パッション(上)

Janvier, 2024

 かん、かん、かん。

 と、薄い金属を打ち鳴らすような軽やかな警笛が、遠くから徐々に近づいてくる。思わず硝子の向こうに目を遣ると、つるんとしたボディの愛らしい路面電車が灰色の舗道の上を滑るように通り過ぎていく。

 日に何度も同じ音を聞き、もしこの世にタイム・マシンがあればこんな見かけのものも存在するんじゃないかというような近未来的なトラムが通過するのを繰り返し目にする。ここで働き始めてもう丸二ヶ月は経ったのだから、いい加減に新鮮味は覚えなくなったが、それでも幾度かに一度はこうして眺めてしまう。街の住民も余所者も観光客も、どんな人種の人間も等しく詰め込んで健気に走る彼ら、あるいは彼女らのことを。

 ジャン・メトサン通りという、このリゾートエリアのなかでも一等中の一等地に居を構える小さなカフェに働き口が見つかったのは、きわめて運が良かったとしか言いようがない。駄目でもともとと思って面接を受けたら、快活で恰幅の良い中年の女性店主が存外にも私を気に入ってくれた。

 大学生の頃にフランス文学を専攻していたと言ったら、彼女は「へぇ、そう。面白いね」とフランクな調子で頷きながら、しかしそのブルーグレーの瞳の奥に好奇心を閃かせた。

「特に何の研究をしてたの? どの作家が好き?」

「作家はデュラスが好きです。マルグリット・デュラス。でも、私はどちらかというと映画のほうが好きで、卒業論文はゴダールの映画で書きました」

 私がそう答えると、彼女はハッハッハと太い声で豪快に笑った。

「ユゴーとかバルザックとか言うかと思ったら、デュラスとはね。ますます面白いじゃない。私も好きよ、彼女。あんた、気に入ったわ。卒業論文がゴダールっていう点は、そうね、ちょっと安直な気がするけど。ちなみに、どの作品で?」

「パッション、です」

 アンヌというその店主は、大学は出ていないけれども若い頃はパリに住んでいて、本を読んだり映画を観たりするのが最大の愉しみだったのだと話した。最近は本は読まなくなってしまったが、映画は未だに好きで、日本の映画も時々観ると言う。

「文学や映画は人生を豊かにするよ。そう思わない?」

 確かにそうですね、と応えた。私の採用はあっさりと決まった。

 日本食レストランや日系のショップ、あるいは日系以外の飲食店でも厨房のスタッフだとか、そういった仕事に比べるとカフェのホールスタッフのような語学力が必須とされる職を得るのは、フランスのワーキングホリデーでは本来難しい。フランス語ができる日本人がそもそも多くない中で、大学時代にフランス語を勉強していたうえ前職でも多少フランスと関わりがあったことは大いに役立った。

 去年の九月、このニースという南仏の街にやって来た。文学部のフランス文学科だったものの留学の経験は無く、卒業旅行で同じ科の友人と四人でパリとモン・サン・ミッシェルを観光したのが、人生で一度目にフランスの地を踏んだ時だった。それから約三年半後に、二度目。南仏は初めてだった。最初の二ヶ月は語学学校に通い、十月の終わり頃から仕事探しを始めた。

 二年と、だいたい半分。新卒で入社した会社で働いた期間だ。三年は続けろ、というのはもう今の時代にはそぐわないというか、そんな考え方は古いと言う人も多い。昔のような終身雇用が当たり前ではなくなった今、キャリアアップや自己成長のためには必要とあればどんどん転職するべきだ、とか。

 世の中の議論や風潮なんて、別にどうだっていい。少なくとも私は、辞めたくて辞めたわけではない。ただ、辞めると言わざるを得なかったのだ。それでも会社都合ではなく、自己都合。私が自ら退職届を書いて提出した。惜しむ言葉を掛けてくれた同僚も少しはいたが、上司は引き留めはしなかった。あのまま続けていくなんて、とても考えられなかった。無職になってさあどうしようかと思った時ふと、この際どこか遠くへ行ってしまおうかという気になった。

 日は落ち、大通りには無数の光が灯り、明るいとは言え空は青紫色に移り変わろうとしていた。

「さてと。ミジュ、モニク。そろそろ閉めるよ」

 店内にはまだ一人、男性が座ってタブレット端末を見ながらカフェ・クレムを飲んでいるが、アンヌはカウンターの中でパンッと手をひとつ叩いてそう言った。モニクが「ウィ、マダム」と涼やかな声で返し、クロスでテーブルを拭き始めた。私も重ねて「ウィ」と返し、バックヤードのロッカーからモップを出してきて簡単に床の掃除をする。

 このカフェは、朝は八時半に開けて、客は朝食なんかを食べに来る。そのかわり夕方は、六時にはもう閉めてしまう。モニクは私よりも一年は早くここでの仕事を始めていたので、日本で言うところの「先輩」にあたるけれども、私より年下で、ニ十歳だ。出勤日は私よりやや少ない。彼女はカフェのウェイトレスの仕事の他に、アマチュアの女優として劇団に所属して舞台に立っているからだ。

 臙脂色のエプロン、それに黒い襟付きのシャツとスラックスを脱いで、自分の服に着替える。太い毛糸でざっくりと編まれた深い緑色のニットは、去年の終わりに買ったものだった。常夏と言えるほどでもないので真冬となれば当然それなりに寒い。地元の人々は皆今時分、口を揃えて寒い寒いと肩を縮めているが、東京の冬に比べれば南仏は余程温かいとは思う。

「ねえミジュ、うちに寄って行かない? おばあちゃんが美味しいチーズを送ってくれたんだ」

「いいね、行くよ」

 タートルネックの黒いニットを被り、乱れた髪を無造作に手櫛で整えながらモニクが言った。ミジュ、というのはニースに来てすぐの頃、語学学校のデュスッド先生が付けてくれたシュノン、要するにニックネームで、それを今も使っている。くだんの面接の時にアンヌに自ら申し出た。そのほうが呼びやすいだろうと。

 私の「瑞希」という名前がMizukiと名簿に書かれているのを見て、マダム・デュスッドは首を傾げながら「ミ、ジュ、キ?」と発音した。日本人の名前って難しいのよね、いつも確認するのよ、と彼女は話した。

「日本語での本当の発音はミ、ズ、キ、です。でも、フランス語の母音では難しいことは理解しています。どう呼んでもらっても構いません」

「そう? なら、ミジュ、って呼ぶのはどうかな。ジュ、はzじゃなくてjを使うの。もちろん公式にではなく、便宜的にね。それならフランス人は呼びやすいと思う」

 とても可愛い響きだと思い、私は了承した。シュノンならなんでも構わないが、ミジュというのは正式な名前としては、ここでは決して一般的なものではないから、カップに名前を書いてくれる類いのカフェに行った時は「ミシェルです」と名乗る。訊き返されると面倒だし、間違えられてもあまり良い気分がしないので。

 この国に来てから親しくなった人たちは皆、私のことをミジュと呼ぶ。結構気に入っている。ただひとり、マキだけは私のことを「ミズキ」と綺麗な日本語の発音で呼ぶ。

 モニクは、彼女が一人で住む小さなアパルトマンの一室へ私を連れて帰宅すると、トルティーヤにトマトとほうれん草と焼いた卵、そしてフランス北部の田舎に住んでいるという彼女のおばあちゃんが送ってくれた白カビのチーズを挟んで、フライパンで焼いたものを夕食に作ってくれた。

「美味しい?」

「美味しい。このチーズ、すごく柔らかいね。なんて言うか、すごく濃厚な牛乳の味がする」

「そうでしょ。ブリ・ド・モーっていうの」

「ブリ・ド・モー?」

 私がひとつひとつのアルファベを確かめるように一音一音はっきりと、聞こえた通りに繰り返すと、モニクは頷いて「ブリ・ド・モー」ともう一度ゆっくり、唇を綺麗に動かして発音した。

 ほうれん草、茄子、南瓜、ピーマン、ズッキーニ、たくさんの種類のパスタやチーズやパン、肉の部位、それにお菓子。教科書やオンラインレッスンでいくら勉強しても、生活に直結する単語、特に食べ物の名称なんかはここで暮らし始めて、自分でスーパーに行ったり人と食事をするようになってようやく覚えてきた。

 その営みはなんだか私に、生まれたばかりの子どもがひとつずつ母語を覚えていく過程を想起させて、まるで自分が幼児になったような気分になった。もっとも、幼児よりはまともに喋れると判断されたからフランス人の経営するカフェで働くことを許されたのだが。

 食事のあと、私たちは戯れるように手を取り合いながら一緒にバスルームに行き、熱い雨を頭から浴びながらたっぷりのシャワージェルで互いに裸の身体を洗った。薔薇とジャスミンの香りが浴室に満ちた。ジェルと泡で包まれたモニクの手が乳房や腹を撫でるのが擽ったく、彼女にも私が同じことをするので、私たちは二人してくふくふと笑った。

 モニクの細い指先が恥骨から恥丘を辿り、大陰唇をなぞると、私は思わず息を詰めて下唇を噛んだ。彼女の癖が伝染ったように思う。彼女も、快楽を覚えた時よくそんな表情をする。

 シャワーを浴びてから私たちは全裸のまま腕を絡め合ってベッドに行き、触れ合った。すべすべとした腕を撫でて脇腹から臍をなぞる。鎖骨に唇を寄せて、モニクの長い栗色の髪に鼻先を埋め、匂いを嗅ぐ。

 女性器を弄ったり舐めたり、クリトリスを刺激したり、されたりするのも気持ちが良いけれど、私は彼女と向かい合って座り、互いの柔らかな乳房を正面からぴったりと触れ合わせながらキスをするのが特に好きだ。ヴァギナから得られる快楽ほどの頭が真っ白になるような強烈さは無いけれど、心を満たすような多幸感が溢れてくる。

 モニクと私が「同類」だと気づくのに、それほど時間はかからなかった。魔法の力のようにばちんと目が合った瞬間に「わかる」なんてそんな第六感のようなことではないが、同僚として会話をしたり仕事終わりに食事をしたりしていると、なんとなくそうかな、という気がしてきて、いつの間にやら彼女とキスをしていた。

「あなた、明日は休みなんだったっけ」

 私が一度、彼女が二度絶頂に至って身体を拭いたあと、私たちは暖かな毛布に包まった。モニクはマネの有名な絵画の女のように肘を突いて、裸のまま寝そべりながら尋ねた。

「そうだよ」

「いいね。あたしは明日も仕事。明後日は朝から晩まで舞台の稽古。あなた、明日は何するか決めてるの?」

「実のところ、決めてないんだ。どこかのカフェでゆっくり食事でもして、映画でも観て、浜辺を散歩して、夜はマキの店にでも行くんじゃないかな」

「ふうん。変わり映えしないね。あなたってのんびり屋だよね。あたし、ヴァカンス・トラヴァイユで外国から来てる人って他にも会ったことあるけど、みんなもっとたくさん旅行したり観光したりしてたよ。なのにあなたって、基本的にずっとニースにいるし、遠くに出掛けるよりも海を眺めてるほうが好きみたい」

「その通りだよ。私、あんまり忙しく動き回るのって好きじゃないから。知ってるでしょ、私、仕事辞めてこの国に来たんだよ。日本で一生懸命働いてたんだから、ここではのんびりしたっていいと思わない? 本当の意味でヴァカンスって感じじゃない?」

「まあ、確かにそうね。むしろその考え方、あなたって結構フランス人っぽいところがあるかも」

 それはどうだろう、と内心で懐疑的に思いながら、私は「そうかもね」と応えた。

 実際に次の日、私は自分のアパルトマンの部屋で遅めに起き出し、近くの適当なブーランジェリーでパンとコーヒーの朝食またはブランチを摂ったあと、近くの駅からトラムに乗って映画館に行った。去年公開されたのに観逃した、イラン・イラク戦争を主題に制作されたイラン人監督によるアニメーション映画がちょうど再上映されていたので、それを観ることにした。

 音声言語はおそらくペルシア語で、当然日本語字幕などあるはずもないのでフランス語の字幕が付いているのだが、さすがに瞬時の読み取りは難しく、なんとなくのストーリー展開くらいしかわからなかった。ニースでの私の友人たちは皆、私に対しては少しゆっくり話をしてくれるし、わからない言葉があったら尋ねれば都度親切に教えてくれる。カフェでの会話は接客用によく使うフレーズを覚えておけばいいし、それ以外のことがあってもそんなに込み入った難しい会話をすることはほとんどなかった。

 ところで、私はイスラム教についてほとんど知らない、と思う。フランスにはイスラム圏の移民は多いし、一般教養程度の知識なら持っている。だからといって「知っている」かと問われると、首を傾げざるを得ない。

 私が働くアンヌのカフェにはテレビが付いていてその時々の番組を流しているが、アンヌの趣味で店内にはシャンソン、フレンチ・ポップ、時々ヴォーカル入りのジャズやソウル・ミュージックなどが流れるので音声は消していて、フランス語の字幕だけ付いている。その画面の中では、連日パレスチナ・ガザでの惨事が報じられているようだった。

 モニクが以前、「ムスリムの友達がいる」と話していた。アティーファ(アチーファ、とモニクは発音した)というモロッコ出身のその女の子はモニクと同い年で、同じくモロッコ出身の彼氏がいて、その彼ともたまに遊ぶのだと言った。でもアティーファと彼氏のサーディクは、子どもの頃に儀式的にイスラム教に入信をしたもののあまり宗教には関心が無く、戒律もほとんど守っていないらしい。「彼女がスカーフを巻いているところなんか一度も見たことない」とモニクは肩をすくめていた。

 アニメと言えば日本、というのは世界的に有名だが、フランスでもアニメシリーズや映画は盛んに制作されている。漫画についても、フランスのものはバンド・デシネと言われて日本のmangaとはまた別個に地位を築いていた。とは言え日本のアニメが大好きだというフランス人にはよく会う。

 マキも、日本のアニメや漫画で日本語を勉強したと言っていた。彼はアニメよりは実写の邦画のほうがどちらかと言えば好きらしいが、アニメは基本的に発音がはっきりしていることが多いから聞き取りの練習には向いているのだという。『名探偵コナン』が特に好きだと言っていた。

「でも、日本語で事件のトリックの説明とかされるの難しくなかった?」

「難しかったよ。でも、だからこそ、やりがいって言うか、理解してやるぞ! って気持ちになる。日本語字幕付けて止めて辞書引いたり、何度も巻き戻して聞いたりした」

「凄いなぁ」

「僕、もともとミステリーは好きだからね」

 マキとの以前の会話を思い出しつつ、夜は彼の店に行った。彼の店と言うか、彼が働いている店ということだが、ニース駅の南側の少し細い路地にある音楽バーだ。日替わりで、アマチュアからプロまで誰かしらが毎晩生演奏をしている。ジャンルは七割ジャズで二割クラシック、一割ポップス、といった具合だと思う。人々は音楽を聴きながらお酒を飲むために集まるが、軽食も食べられる。

「ボンソワ、ミズキ」

「ボンソワ。もう復帰してるんだね」

「フッキ?」

「ヴァカンスから戻って、仕事を始めてるんだね、ってこと。ノエルと年末はどうだった? リヨンに行ってたんでしょ?」

「うん、まあまあ良かったよ。おばあちゃんにも久しぶりに会えたし」

「そう、良かったね。コニャックとお水、あとサラダくれる?」

「オーケィ」

 ソファとテーブルでゆったりできる薄ら暗い店内の、中央のステージには淡いピンク色の照明が当てられて、サックスとキーボード、それにカホンと女性ヴォーカルというモダンなジャズカルテットが演奏をしていた。

 ウェイターは基本的に、白いシャツに黒いパンツ、ベスト、ソムリエエプロンに蝶ネクタイという古典的なバーテンダーの服装だ。マキももちろん、その恰好で働いている。よく似合っている。ちなみに女性店員も、体型に合わせたサイズを選ぶがデザインは同じである。

 平日で、しかも年始から間もないせいもあってか店内はそれほど混んではおらず、店員たちもある程度暇そうにしていた。マキが先にコニャックの瓶と硝子の水差し、それにコニャック用とお水用のグラスをひとつずつ、トレイに載せて持って来てくれた。

「先月は楽しかったね」

「先月? パリに行ったこと?」

「そうだよ」

「マキ、あれ楽しかったの?」

 彼の言う、私たちの小旅行を思い出しながら少し笑って言うと、マキはグラスにコニャックを注いでくれながら唇の動きだけで薄く笑った。

「楽しかったよ。確かに情けないところも見せちゃったけど、ミズキと一緒に過ごせて、たくさん話ができて良かった。もうミズキは僕の……何て言うんだっけ、メイユーラミ」

「親友?」

「そう。親友、だなって思った」

「嬉しい」

 Parce que nous sommes tous les deux des étrangers ici.

 だって僕らふたりとも、ここでは異邦人だからね。

 マキはフランス語でそう言い残すと、空になったトレイを持ってバックヤードに戻って行った。私はそのフレーズを、頭の中で何度か反芻した。彼は「ここ」と言った。「この街」でも「この国」でもなく、ただ「ここ」としか言わなかった。その「ここ」とは、一体どこからどこまでを指すのだろう? そして私たちが「異邦人」でなくなる場所が、その境界線の外、どこかには在るのだろうか?


Novembre, 2023

 二ヶ月のあいだ居候もといホームステイをした家を出るにあたって、オディールは「あたしはアンタのこと、本当の孫みたいに思ってたんだからね」と言って、たいそう寂しがってくれた。

「でも、ニースにはあと十ヶ月いるんだろ?」

「ええ。そのつもりです。何も問題が無ければ」

「じゃあ、また何か困ったことでもあったら来なさいな。何もなくても来たっていいんだよ。またタルトを焼いたげる。ああ、でも、来る前には一本電話を寄越すのよ。いきなり来たって追い返すからね」

「わかってますよ。貴女も、身体には気を付けてね」

 実際のところ、オディールはかなり偏屈な類いのババア、間違えた、マダムだった。洗濯機を使おうとすると「どうしてそんなにしょっちゅう洗濯するのよ。水が勿体ないし、うちじゃあ週に一度しか回さないんだから」とクドクド怒られたし、帰宅が少々遅くなった夜にシャワーを浴びていたら「うるさいよ!」と怒鳴られた。

 まあこれは、フランスの水回り事情とカルチャーをよく知らなかった私にも反省すべき点があったのだが、そんなふうに怒られて「ごめんなさい」としおらしく謝ると、「アンタねえ、この国でそんなに簡単に謝っちゃ駄目だよ。ここは南仏だからまだマシだけど、パリにいたらそんなんじゃ生きていけないんだからね」と再び説教された。じゃあどうしろと言うのか。

 しかし夫とも死に別れ、その夫が結構な資産家だったとかで遺産も不労所得もあり、子どもや孫たちも全員独り立ちして別々のところへ行き、ほとんど暇つぶしのためにホームステイの受け入れをしているという彼女は基本的にいつも暇だった。

 暇と言うか、彼女にしてみれば新聞を読むとかラジオを聴くとか花壇に水を遣るとか編み物をするとか、それこそお菓子を作るとか、色々とやるべきことは尽きなかったのだが、とにかくオディールはよく私の話し相手になってくれて、お陰で随分と会話の練習ができた。

 語学学校が休みの日は、一緒に料理をしたり、ケーキやマドレーヌやタルトを焼いた。ブイヤベースの作り方や、クスクスの美味しい調理法も教えてくれた。口うるさくて理屈っぽいこの老女に心底腹が立つこともしょっちゅうあったけれど、結果的に私たちは歳の離れた良き友人同士になったように思う。

 短期コース修了の証明書を貰って語学学校も卒業し、オディールの家も出て、私はインターネットで知り合った人とアパルトマンをシェアすることになった。

 やり方はまったくシンプルでセオリー通り、外国人向けのルームメイト募集掲示板サイトを使った。文面でやりとりをしてから三人ほどと実際に会ってカフェで話をし、条件や生活スタイルや希望内容で一番合いそうだった、中国人留学生のソン・メイファンとルームシェアに合意した。

 メイファンは北京の出身で、二十二歳だった。英語は堪能だがフランス語はまだあまり得意ではないようで、語学学校にみっちりと通い、夜だけ中華料理屋でアルバイトをしている。私は中国語がほとんどわからないので、彼女との会話はだいたい英語、時々フランス語を使った。「ジャスト・コール・ミー・メイ」と彼女は言い、言われた通り私は彼女をメイと呼んだ。

「掲示板に書いた通り私はレズビアンなんだけど、それについてはあなたは構わないの?」

「いいですよ。わたしはヘテロセクシュアルですが、あなた、ロマンティック・リレーションシップは無し、とも書いてたでしょう。もしも今日会ってみて、たとえばあなたが私に言い寄って来るような素振りがあったらやめようと思っていました。わたしの勘ですが、あなたはそういうことにはきちんとしている人のように見えたので、問題はありません」

 そうして始まったメイとの生活は悪くなかった。彼女は寛容で、適度に綺麗好きで、そして私よりも規則正しい生活を好んだ。アパルトマンの部屋には完全に分離したベッドルームが二つあったので互いのライフスタイルには必要以上に干渉せず、時々タイミングが合うと私たちは一緒に朝食や夕食を摂った。メイがルームメイトとして適した相手だったことは、私にとって幸運だった。

「わたしは、フランス語がもっと上手になったらパリに行きたいんです。そして、映画の学校に通います」

 ニース駅の北側、クレマン・ロアサル通りのアパルトマンに引っ越し、ルームシェアを始めてまだ日が浅いある夜、メイが作った中華風の美味しい炒め料理を食べながら私たちは話をした。

「映画? 映画監督になりたいの?」

「そうです。中国でももちろん映画は作られているけど、わたしはヨーロッパの映画が好きなんです。だからフランスに来ました。自分で脚本を書いて、自分で監督したいんです。あなたは映画が好きですか?」

「うん、好きだよ。私、大学生の時にフランスの映画について研究していたんだ。映画監督になろうとは、私は思わなかったけど。それは、決して映画監督という仕事が悪いと言いたいわけじゃなくて……ただ、映画を撮ったり小説を書いたり、そういう才能が自分にあると思ったことは、今までの人生で一度も無かったから」

 私が肩をすくめると、メイは私の目を見つめて頷き、それから少し考えるような表情になった。

「確かに、何かを自分で作るのは難しいことです。特に小説や映画のように、それ自体が物語や世界を独自に持っているようなものを作るのは、簡単ではありません。でも、わたしは誰しもが、語る力を持っていると思うのです。語るためには色々な手法があります。わたしに関して言えば、わたしは映画や映像を使いたいんです」

 誰しもが、語る力を持っている。

 メイが英語で述べたそれは、ひどく力強い言葉のように聞こえた。本当にそうなのかどうかは、私には判断が付かない。

 私は、あなたの一番好きな映画は? と彼女に尋ねた。彼女は難しい質問だと言わんばかりに唇を歪めて少し笑い、瞼をぎゅっと瞑って考えてから、「アラン・レネ監督の、『ヒロシマ・モナムール』です」と答えた。

 

 アンヌのカフェで仕事を始め、モニクと同僚になったのも同じ頃だ。そしてマキとも、モニクを通じて出会った。モニクとマキはもともと友人同士だった。

「日本人の友達がいるの。彼、サシャ・ギトリ通りのバーで働いてるんだ。日本人だけど、ほとんどフランス育ちみたい。でも確か、日本語が話せたはずだよ。紹介したいな」

 モニクの発案により、私たちは三人でレストランで食事をすることになった。十一月も半ばだというのにその夜は、特に浜辺に近いエリアはとても暖かかった。その日本人男性と約束したという店に、私とモニクは一足先に到着した。

「そう言えば、特に訊いたことが無かったけど、あなたってタバコ嫌い?」

「ううん、私は吸わないけど、他人が吸う分には大丈夫だよ」

「それなら良かった。じゃあテラス席にしよう。暖かいし、テラスならタバコが吸えるから」

 フランス人の喫煙率は日本人よりも高いらしい。若い人でも吸うし、レストランやカフェを含む屋内では、個人宅を除いて禁煙だが、外となればテラス席でも喫煙可能だ。女優志望のモニクも煙草を吸うけれど、彼女のアパルトマンでは「壁が汚れるから」とバルコニーに出て吸っていた。

 しばらく経って、彼が現れた。身長は比較的高いが、線の細い印象の人だった。瞳の色は淡い色をしているし、一見フランス人的な顔立ちにも見えるが、一方で日本人と聞いているとなんとなくアジア的な雰囲気にも見えた。彼は「ボンソワー」と簡単に挨拶をすると、私を見た。

「僕、マキです。真実のシンに、世紀末のキと書きます。フルネームは、真紀・ジュスタン・オノレ」

 それはとても流暢で自然な日本語だった。名前の表記の説明までわざわざしたところを鑑みると、漢字もかなり読めるのだろう。

「私は瑞希です。ここではミジュって呼ばれてるけど。真紀とジュスタンがファーストネーム?」

「そう。でも、みんなマキって呼ぶよ。フランス人とか、日本語を知らない友達もほとんどマキって呼ぶ」

 日本語を解さないモニクが煙草の煙を吐き出し「なんて?」とゆったり尋ねると、マキは椅子を引いて座りながら今度はフランス語で、「フランス人の友達もみんな僕のことをマキって呼ぶって言ってたんだ」と言った。

「ああ、なるほどね。だって、マキってあんまりジュスタンって感じがしないんだもん。マキのほうが似合ってる感じがする」

「それって、どういう意味? 僕が複雑な男ってこと? それとも『レジストン』だって言いたいの?」

「そんなつもりじゃないけど、その解釈もある意味では間違ってないかもね」

 親しい友人らしい、軽い調子で交わされるその会話の意味するところを、単語を聞き取れてはいるものの今ひとつ理解できなかった私にマキはすぐ気がついて、再び日本語で説明してくれた。

「マキ、っていうフランス語の単語の意味を知ってる?」

「ううん、知らない」

「maquisと書いてマキ。背が低い木の茂みとか、あとは複雑とか、そういう意味もあるんだけど、第二次世界大戦で対ドイツのレジスタンス運動をしていた集団、組織のこともMaquisって言うんだ。森に隠れて活動をしてたから」

 彼は、レジスタンスという単語を発する時だけはフランス語の発音になった。

 曲がりなりにも仏文科だったのだから、対独レジスタンスのことはもちろん知識として知っていたが、その「マキ」のことは彼に聞くまで知らなかった。

 maquisという単語が彼のパーソナリティに合っているのかどうかは私には判断が付かなかったが、マキという呼び名、それも漢字を知らないであろう彼の友人たちが発するマキという音は確かに、彼に似合っているような気がした。ま行の柔らかさと、か行のプラスティックのような軽さや硬さを同時に備えた音の並び。

 私たちは赤ワインを飲み、サラダ・ニソワーズと牛肉のタルタル、ムール貝の白ワイン煮などを食べた。食事の合間にも煙草を吸うモニクを見ていたマキはふと、「僕もタバコ吸っていい?」と言い出した。

「もちろん。ミジュは構わない?」

「うん、問題ないよ」

「珍しいね、マキが吸うの」

「目の前で美味しそうに吸われると、吸いたくなっちゃった」

 マキはハンドバッグから取り出した煙草の箱から一本を抜き、薄い唇のあいだに咥えてジッポライターで火を点けると煙を吐き出した。

「君は吸わないのに、一緒にいる人が吸うのは構わないの? そっちのほうが珍しいね。もともと吸わない人や辞めた人は、目の前で吸われるの嫌がるだろ。僕も、母が喘息気味だから普段はあまり吸わないんだ」

「そうなんだ。私は、前の恋人が吸ってたから慣れちゃったの」

「でも、あなたは影響を受けて喫煙を始めなかったんだね」

 モニクが赤ワインのグラスを揺らしながら口を挟んだ。

「そう言われてみれば、そうだね。どうしてか、私にもわからないけど」

 そう、彼女。私の元恋人。

 彼女は煙草を吸っていた。好きなのは、紺色のピースだった。それがいったいどんな味がするのか、私は終ぞ知ることは無かった。日本産の銘柄だから、ここでも売られているのかどうかも知らない。私はこの街で何の煙草が売られているかを真面目に見たことなんて無いのだから。


 碧は、会社の同期だった。内定者懇親会で、黒いリクルート用のパンツスーツを鎧のごとく着込んだ碧は、少し掠れた低めの声で「サカイアオです」と不遜そうに名乗った。

 フランスワインの輸入販売と、都内ワインバーの経営を主な事業とする、さほど大きくはない会社だった。大学でフランス語を学び検定資格も多少取得していたことが、ある程度は選考で有利に働いた。

 私は海外輸入事業部に配属され、坂井碧も一緒だった。彼女は頭の回転が速く、論理的思考力も高く、物怖じせずに意見を言うことができ、新人の中でも優秀な部類だった。

 碧はわざわざワインの会社に入社したくせに、しかもヘビースモーカーなのに、酒には滅法弱かった。と言うか、本人は酒が好きだし喜んで飲むのだが、すぐに真っ赤になってへにゃへにゃになってしまうのだ。

 配属されてまだ間も無い頃、同じ部署の同期なのだから仲良くしようと二人きりで飲みに行くことになって、すぐにそのことはわかった。一軒目の居酒屋で一時間半もしたらもう喋ることが滅茶苦茶になってしまった彼女は、白いところが充血して据わった目を私に近づけ、「あたしねぇ、レズなんだぁ」とふわふわした口調で言った。そしてそのまま卓に突っ伏して寝た。あんなに酔っ払っていたのに、「れ」の音はやけに綺麗に聞こえたのが不思議だ。

 そのまま三十分ほど、私は眠る碧をただ眺めながら麦焼酎の水割りを飲んでいた。いい加減に痺れを切らした頃にさらさらした黒髪の流れる頭をぺちぺちと手のひらで叩いた。

「碧、寝るなら帰ろ。家どこ」

「ささづか……」

「それはさっき聞いたよ。笹塚のどこ。住所、どっかに書いてないの。なんていうマンション? 歩けないならタクシーで送るから」

「まんしょん……めぞん、えくら……」

 見事にすべて平仮名の発音でそう言って、浮上しかけた意識はまた朦朧となってしまった。

 私は仕方なく、地図アプリで笹塚駅近くの「メゾン・エクラ」というマンションを検索した。それらしいところはすぐに見つかった。ストリートビューで見る限り三階建てか四階建てで、部屋数もそれほど多くはなさそうだから、行きさえすればどの部屋かはわかるんじゃないだろうか。あるいは、叩き起こしてどの部屋か聞いて鍵を出させ、中に放り込んで帰ればいい。タクシー代は後日請求しよう。

 それにしても、たいした名前のマンションだ。「輝きの家」だなんて。

 当該のマンションは三階建てで、部屋番号を聞けば301だというのにエレベーターが無かったので、細いとは言え私と同じくらいの身長の身体を抱え上げ、半ば引き摺るようにしてぜえぜえと息を切らしながら階段を昇った。部屋の前に着く頃には汗だくだった。

 碧は廊下の床に蹲ってしまったので鞄を勝手に漁って鍵を探し出し、また引っ張って立たせて中に入り、さすがに玄関に捨てておくのは忍びなくて、靴を脱いでワンルームの中まで入りベッドの上にぼすんと放って寝かせた。ふにゃふにゃの彼女は、そのまま深い眠りに入っていくようだった。

 後日、居酒屋の途中から記憶が無いと宣う碧に私は「もうあんたと酒は飲みたくない」と断言した。

「ねえ碧、この前あんたレズだって言ってた。自分のこと」

「……え」

「私もだよ」

「……え?」

 別に私も碧もレズビアンだったら誰でもいいわけではないし、そんなどうしようもないカミングアウトによってすぐに恋仲になったわけでもなかった。

 社会人一年目の後半に差し掛かる頃、外で飲むと泥酔して寝てしまってどうしようもないからと一人暮らしの碧の部屋で宅飲みをして、そこで彼女の裸体を初めて見て、粘膜に触れた。

 それから二年近く、碧と付き合っていた。碧の真っすぐな黒髪と、ポニーテールが似合う丸い後頭部や、鋭角ないかり肩、首の線、飾らない率直な性格や前向きで強かなところ、賢くて仕事ができるのに生活習慣や酒癖やヤニ癖はだらしないところ、どれもこれも好きだった。

 ある時、気がつくと私と碧が付き合っているという噂が流れ出し、瞬く間に社内中に広まった。同僚の誰かが何かに気づいて広め始めたのか、出所はまったくわからなかった。

 オフィスの廊下を歩くとすれ違った社員が振り返って何事か囁かれたし、色々な人に「坂井さんと付き合ってるって本当?」と訊かれ、そのたびに「まさか」と否定した。

 それなのにとうとう部長に呼び出された。会議室で部長を前にして、私と碧は並んで座った。

「君たち、その、噂については把握してるよね」

 言い出しづらそうに部長が口を開き、私はどう誤魔化そうか、どう否定しようかと思っていたところで隣の碧が「付き合ってたら何だっておっしゃるんですか」と言い放った。

「社内恋愛してる方は他にもいらっしゃるし、社内結婚された方だっていらっしゃるでしょ。別に私たち二人は、仕事に影響を出していないはずです。勝手に騒ぎにして悪影響を及ぼしてるのは周りの皆さんでしょう? それに、男性と女性の交際だったら、ここまで大ごとにはならないじゃないですか。私と西川さんだったら、何か問題があるんですか?」

 部長は、はっきりと「問題だ」とは言えなかった。なぜなら彼自身も、それが差別であると理解しているから。かと言って、私たちを守ろうという気も無いことはよくわかった。

 私は退職届を提出し、残っていた有給休暇はすべて消化して退職した。碧は何度も連絡をしてきたけれど、SNSや通話アプリはすべてブロックした。携帯電話の番号は電話帳から削除した。着信拒否をしていないから電話が掛かってくる可能性は残っていたけれど、碧は掛けてこなかった。家に押し掛けて来ることも無かった。

 碧がまだあの会社に残っているのか、それとももう辞めたのかは知らない。


Février, 2024

 ここニースで最大級のイベントであるカーニバルが近づきつつあり、それに伴って徐々に街には観光客が増え出しているように見えた。テレビの画面の向こうに見るパレスチナとイスラエルの戦況は、日々激化の一途を増すようだった。

 ニースの冬はごく短いものだった。最も寒い季節は早くも通り過ぎ始め、特に昼間の海辺は鮮やかな太陽が降り注ぎ、暖かかった。モニクと休日が被った日、彼女に誘われてモノプリで六本入りの缶ビールとハムとチーズとバゲットを買い、海辺に行った。私はそこで、初めてアティーファとサーディクに会った。

 二人とも、とても明るく友好的で、おしゃべりなカップルだった。特にアティーファは、モニクが前から言っていたようにいわゆる「ムスリム女性」のステレオタイプ的なイメージとはまったく異なっていて、勝気でパワフルな、とても現代的な女性のように見えた。

「ミジュ、あなたは日本人なんでしょ? モニクから聞いてるよ。あたし、日本のアニメ大好きなんだ! 料理も美味しいって聞いてる。スシもよく食べるんだよ。いつか日本に行ってみたいな!」

「うん、ぜひ来て。その時は案内するよ」

 筋肉質な体型だが垂れ目がちな優しい相貌をしたサーディクも、「俺たち二人で行きたいな。楽しみだ」と頷いた。

 そんなに冷たくないビールの缶を四人で「サンテ!」とぶつけ合い、アティーファとサーディクが買ってきた豚肉のテリーヌやほうれん草のクリーム和えなんかの惣菜も一緒に食べた。ビールも食べ物も、すべて浜に直置きした。

 ニースの浜辺は、普通の砂ではなくすべすべした真っ白な丸い石でできている。どうしてこうなったのかはよくわからない。さすがに人工のものだろうとは思う。最初は驚いたし歩きづらく感じたが、そのうちに慣れた。

「モニクとはもう話してたんだけどね、あたしたち今度のガザ侵攻抗議デモに参加するんだ。よかったらミジュ、あなたも一緒に行かない?」

「デモ? 私が行っても大丈夫かな、その……」

 日本ではデモやストライキに参加することは、この国ほど一般的ではないと思う。一度も参加したことが無かった私は少しばかり不安を覚え、躊躇を示したが、サーディクが穏やかな口調で重ねて語った。

「もちろん大丈夫だよ。信仰する宗教にかかわらず、このジェノサイドに反対する気持ちがあるなら、誰でも歓迎するからね。それに、危なくもないと思うよ。今度のは割と、平和的なデモなんだ。非暴力による抵抗は重要だからね。まあ、場合によっては警察が止めに来るかもしれないけど……」

「わかった、行くよ。確かにあなたの言う通りだね、宗教の問題ではなく、えっと、ユマニテ?」

「人道的問題ね。間違いないわ」

「そう、それ」

 モニクの助け舟に頷く。アティーファとサーディクも同意しているようだった。

「あたしたち、普段は自分たちがムスリムだってこと、そんなに意識してるわけじゃないの。父や母はきちんと戒律を守ってるけど、あたしは彼らにそれを強制されてはいないし、他のニースの友だちと同じように暮らしてる。でも今回のことは、いくらなんでも無関係な振りをしてはいられないよ。あたし、今まで生きてきてこんなに自分の生い立ちや宗教のこと、他の国の同胞について考えたことって無い」

 燦々と太陽の光が降り注ぐ海辺では、多くの人々が特に用も無さそうにたむろしたり、子どもが走って遊んだり、海水に足を入れたり、私たちのようにビールを飲んだりと思い思いに過ごしていた。本格的に水着を着て海に入っている人も、一応は冬だというのに少しばかりいた。街はカーニバルの準備を始めていた。

 遥か遠くではきっと、今も銃声と爆発音が鳴り響いている。私とモニクとアティーファとサーディクはビールを飲み、ちぎったバゲットにハムとチーズを乗せて食べている。


 高校に入学して、初めてのクラス分けで同じ教室にたまたま入れられた翠と私は、一年ほどの時間をかけて、単なる友達とは呼べない関係になった。自分が同性に惹かれることに気づいたのは、翠の存在が端緒だった。

 過去の恋人の名前がアオとミドリで、どちらも自然色を表す言葉だというのは、何の偶然なのだろうか。

 彼女がかつて東日本大震災で被災し、父と弟を喪ったことがあると知ったのは、ちょうど初めて彼女とキスをした頃のことだったと思う。同い年の私たちが三・一一を経験したのは、小学六年の終わりだった。

 松嶋翠は当時、宮城県の港町に住んでいて、その地域一帯はまともに津波の被害を受けた。「卒業式どころじゃなかったな」と、少なくとも表面上はさらりとした口調で彼女は言った。その表情はひどく静かなものだった。

「あの時のことを喋ろうとしても、全然うまく言葉が出てこないの。悲しかったとか、ショックだったとか、辛かったとか、そんなのは全然、違う気がするの。なんて言うか……どんな言葉を選んでも、あの時起こったこと、事実、はそれを何もかも超えてる気がして。とにかくあの街に住んでいた誰も、想像できなかったことが起こった。今は、そういうことだけを思う」

 翠も賢い女の子だったけれど、それは碧とはまた種類の異なる賢さだった。いつもたくさんの本を読み、思慮深く、色々なことに対して自分の意見を持っていて、それらを言語化するのに長けていた。その彼女が、自身の体験についてはほとんど語らなかった。

 語らないのではなく、私には語ることができないのだと、そう言った。

 互いに友情とは異なる感情を自覚した私たちは、身体の中で他人には通常触らせないような部分を触り合い、舌や唇で愛撫をし合ったり、ヴァギナとヴァギナを重ねて擦ったりもした。二人とも、他人と性的な交渉をするのは初めてだった。翠の白くて柔らかい肌はほんのりとミルクのような香りがして、それに指を埋めることは私の特別なお気に入りだった。

 高校三年の終わり、翠は京都の大学に合格した。それも、日本最高峰と言われる国立大学のひとつだ。私は東京の私大に進学することになった。

 電話しようね、なるべく会いに行くからね。私も京都行くよ。

 そう言っていたけれど、高校の教室という狭い狭い水槽を出てもう少し広い世界へ出た私たちのあいだの連絡や会う頻度は次第に減り、要するに自然消滅という形で関係が途絶えた。SNSのアカウントは知っているが、彼女はあまり写真を投稿したりしないから最近の様子はなにもわからない。たぶん元気にやっているのだろうと、特に根拠も無くそう思っている。

 ある時、大学の授業で、日本語に訳されたジョルジュ・ディディ=ユベルマンの論文のコピーが配られた。ホロコースト下のアウシュヴィッツで極秘に撮影された四枚の写真をもとに、ディディ=ユベルマンが「イメージ」の重要性、あのような特殊な環境下とそれを「伝える」ことにおいてイメージには果たして何ができるのか、について論じたものだった。その講義のあと、コピー元の本を大学の図書館で借りて読んだ。

 語り得ないと度々言われるものごとを、どうやって語るのか。

 何を語るべきで、あるいはそうでないのか。

 私は教授に提示されたその問いについて考えた時に、翠の声が頭の中に蘇るのを聴いた。たくさんの人が三・一一について語る。災禍について。原発事故について。失われた命について。あるいは三・一一「以前」と「以後」について。その中で口を噤んだ翠のこと。

 人間の想像を超えるような出来事を目の前にした時、いったい私たちは何を語ることができ、何を語ることができないのだろうかと。何を伝えることができ、何を伝えることができないのだろうかと。

 または、何を想像できるのだろうかと。

 

 アティーファとサーディク、それにモニクとの四人でプラカードを持って「平和的な」抗議デモに参加した、その次の日からはもうカーニバルの初日だった。マセナ広場から海岸通り沿いの一帯にかけては簡易的な柵が設置され、その中に入るには指定席か立見のどちらかのチケットが必要だった。

 カーニバルで行われるパレードには主に、夜のイルミネーションパレードと昼の花合戦がある。モニクとマキと、三人でタイミングを合わせて安いほうの立見チケットを買い、どちらも見に行くことにした。

 夜も昼も、大勢のダンサーが広場やプロムナードでパフォーマンスをし、ひっきりなしに音楽が流れる。紙吹雪が舞う。有名人や有名なキャラクターや謎のおじさんや、とにかく多種多様なはりぼての巨大な人形がゆっくりと巡回する。なんとか可愛いと言えるものもあれば、正直ちょっと気味の悪い顔つきのものもある。

 昼に行われる花合戦で特徴的なのは、バタイユ・ド・フルールという名の通り、無数の切り花がパフォーマーたちによって観客たちに向かって撒き散らされる。プロムナード上にとにかく投げ込まれることもあるし、直接手渡ししてくれることもある。

 ガーベラ、アイリス、ミモザ。

 あるいは私には名前もわからない花、花、花。

 それらが海沿いの柔らかな空気と陽の光の中、青空の下を、終わりなく思えるほどに舞い続ける。頭の上に飛んできたそれを、手を伸ばして掴む。広げた両腕の中に飛び込んでくる。私の両手はいつの間にか、花でいっぱいになった。

 モニクと顔を見合わせて、何が可笑しいのかもわからないままひたすら笑った。マキも笑っていた。瓶入りのぬるいビールを三人でぶつけ合い、狂騒の中で出鱈目に歌ったり踊ったりした。

 ほんの数日前に一緒に行進したデモとは、同じような大勢の人々の集まりでも、当然のことではあるが様相が一八〇度異なっていた。デモでは、皆が怒っていた。あくまで冷静に声を上げる人もいれば、感情的に演説をする人もいたけれど、かたちはどうであれ皆が怒りを表明していた。私はその怒りを、極めて正当なものだと思った。アティーファやサーディクも、モニクも怒っていた。

 でも私は彼女ら彼らを真似して声を張り上げる努力をしながらも、うまく怒れない自分がいることに気づいていた。一般的に言って日本人の、特に女は、怒ることが下手だ。そういう「訓練」を受けていない。正当な怒りを表明するための「訓練」。碧ならばきっともっとうまく怒れただろうか、と思う。

「実はまだ、もっと特別なお祭りがあるんだよ。ねぇ、マキ?」

 ランダムな花々を一纏めにした束を抱えたモニクは、マキを振り返って同意を求めながら、内緒話のように私にそう言った。

「そう。僕たちにとって一番大事なカーニバルがある」

「僕『たち』? それって、よそ者の私も含まれるかな?」

「もちろん。僕が今『僕たち』って言ったのは、君も含めて言ったんだよ」

 ビアン・シュー、とマキはフランス語でそう言い、軽やかな笑みを浮かべた。それに続けてモニクが、何か特別な発表をする時のような女優の声色で「ルゥ・クィアナバル」と言った。

「ルゥ・クィアナバル?」

「プライド・パレードみたいなもの。と言っても、それほど明確に政治的主張をするような催しではないんだけどね。ドラァグ・クイーンやクィアのダンサーが踊って、虹色のヴェールや紙吹雪が舞うの。広場全体がちょっとしたゲイ・クラブになる感じ。楽しいよ」

 そうか、だから私も含められるのか。と納得し、もちろんぜひ行きたいと申し出た。それで私たちはチケット売り場で専用のチケットを三人分、別に購入した。カーニバル期間のあいだ、ニース駅の南側はいつどこを歩いても常に愉快な空気で満ちていた。

 この時期はアンヌのカフェにとっては稼ぎ時でもあったから、私とモニクは遊びに行かない日はなるべくたくさん働いた。

 店は繁盛した。レストランではないから、提供するものの中で食事のメニューはサンドウィッチとかクロワッサンとかサラダとかその程度に限られるが、それでもよく売れた。勿論、エスプレッソやカフェ・クレムやショコラ・ショー、それにヴァン・ショーも。

 そう、ヴァン・ショー。アンヌのカフェはバーではないので基本的に酒はほとんど置いていないのだけれど、ヴァン・ショーだけは彼女のこだわりで、秋から冬を超えて春頃までのあいだ、出しているのだ。彼女の秘密のレシピで作るヴァン・ショーは常連をはじめとする近隣住民のあいだでひっそりと人気を集めていた。

「あなたはウェイトレスだから教えてあげるけど、他の人に教えちゃだめだからね」

 そう言われて、鍋でたくさんのヴァン・ショーを作るのを手伝った。何年も通っているのだという、白い髪が禿げ上がって額が広くなった常連のおじさんは、「毎年この時期にこれを飲むのが楽しみなんだ」と言った。

 仕事は淡々と、なるべくリズムよく行った。注文を取る。伝票を書く。コーヒーマシンで飲み物を作る。サンドウィッチやパンをショーケースから取り出し、皿に乗せる。時にピクルスと一緒に、客に提供する。常連客やおしゃべりな客とは、時々簡単な会話をする。観光客も訪れるので、フランス語があまりわからない様子の客には英語を使うこともある。

 東京でしていた「仕事」とは随分違った。どちらにおいても忙しい時と暇な時というのはあったが、忙しい時でも「忙しさ」の質が違っていた。ここで私がしなければならないのは、全体が見渡せるほどの小さな店の中で適度に愛想良く客を捌き、適切に飲み物や食べ物を提供し、勘定の計算をし、食器を洗って掃除をすること。いたってシンプルだ。複雑なことは何も無い。忙しいか忙しくないかの基準は単に、客の数が多いか少ないか、入る注文の数が多いか少ないか、ということだけだ。

 その単純さは、私を救うように思えた。少なくとも目まぐるしい東京という都市で、細かく分解され切り離された労働に疲弊した今の私には。それらの細切れを取り巻く人間たちによる、決して明瞭に示されることのない暗黙の規律や思惑に振り回されて疲弊した今の私には。


 ルゥ・クィアナバルの夜、私たちはマセナ広場の脇にプレハブで建てられたゲートに並んでいた。観光客も地元の人間も混ざり混ざって、奇抜な恰好をしている人もいるし、誰が何の属性なのかもよくわからないが、とにかく結構な人出だった。ゲートの入り口でチケットと引き換えに、紙製の簡素なリストバンドを渡された。私たちはそれを手首に巻いた。「ねえ、ちょっと、端のところがうまく貼れないんだけど」と笑いながらモニクが言うので、彼女のは私が巻いてやった。

 会場となっているエリアに入ると、すでに派手な音量でポップ・ソングが流れ、そこらじゅうで踊っているグループが乱立していた。例のやや気味が悪いはりぼての人形も徘徊しているし、正しく竹馬のような長い靴(どうやって履いて、どうやって歩いているんだろう?)で颯爽と歩くドラァグ・クイーンたちもいた。あちこちでレインボーフラッグが掲げられ、悠々と空気の中で鮮やかに揺らめいていた。

 その光景を視界いっぱいに収めただけで私たちはなんだか気分が高揚してしまって、私とモニクは手を繋ぎ、反対の手でマキの手を引いて、キャーッと叫びながら駆けだした。

「ねえ、ミジュ! マキ!」

「なに、モニク!」

 特定の相手に話しかけようと思うなら、ほとんど叫ぶようにして喋らないといけなかった。モニクの呼び掛けに、大声で「Quoi!」と応えた。

「ここは今、あたしたちの国だよ!」

 私とマキはほとんど脊髄反射的な速度で、その台詞に「私たちの国!」と叫んだ。考えてみれば変な話だ。もともとモニクにとって、このフランスという国は「彼女の国」なのだ。マキにとっても、少なくとも法律上は間違いなくそうだ。彼だってフランスで育ち、フランス国籍を持っている。それでもモニクは、「maintenent(今)」と「ici(ここ)」という単語を発した。私はそれを、論理的にではなく感覚的に納得することができた。今ここが、私たちの国なのだ。

 大きめのお立ち台のようなステージの上でダンス・パフォーマンスをする黒いレザーの衣装のダンサーたちの周りで、人々がもみくちゃになりながら踊っている。私たちも歌って踊った。何を、あるいは誰を模したキャラクターなのかはわからないが男と男のはりぼて人形同士が、胴体に対して大きすぎる顔を正面からくっつけあっていた。マキと肩を抱き合っていたモニクが、私の腕を引っ張ると頬っぺたにキスをしてきた。私は笑う彼女の頬を掴まえ、桃色の唇にキスをした。ぱぁん、と何かが弾けるような軽やかな音がどこかでしたと思うと、大量のカラフルな紙吹雪が宙を舞った。

 そこが、私たちの国だった。朝になればまるですべて夢だったかのように跡形無く消えてしまう、私たちの国だ。