触れたとて消えないもの
足の爪を塗ってもらった。ネイルサロンで。他の教室やスクールはどうかわからないが、私が通うダンススクールのジャズダンスとコンテンポラリーのクラスでは、靴を履かずに裸足か靴下だけでレッスンを受ける。フットジェルネイルは初めてだったけれど足先が目に入るから、綺麗にしておいたらモチベが上がるかも、と思った。
裸足が好きだ。真冬のよっぽど寒くて耐えられない時期でない限りはなるべく、家の中でもスリッパどころか靴下すら履きたくない。なぜと言われても大した理由はなく、ただ足が締め付けられずに解放されている状態のほうが気持ちいいからに過ぎない。
楽という理由で夏場は毎年サンダルばかり履いているけれど、必ず露出する足の爪は面倒臭いという理由であまり塗っていなかった。深い海みたいな色にしたくて、艶のある黒とエメラルドグリーンのマグネットネイルにしてもらった。光の当たる角度によって青色にも見える。
前話でジャズのクラスを選んだと書いたが、その後なんだかんだあって元々念願していたコンテンポラリーのクラスに変更した。金曜日夜のクラスは受講生が多くて物理的に動きづらく、必然的に先生の目も届きづらい感じがしたのと、その金夜の先生に「コンテンポラリーがやりたいなら無理にジャズを通らなくても、なるべく簡単なクラスでコンテから始めてみてもいいかもしれない」とアドバイスを受けたので、とりあえずそちらも試してみたところ案外ハマる感じがしたのだ。
レッスンの最初はいつも、淡くひんやりした床に大の字で寝そべってゆっくりと呼吸するところから始まる。ひとつひとつの体の部位を、骨を筋肉を意識し、自分の身体と向き合ってその状態を丁寧に確かめていく時間がある。
どのコンテンポラリーのレッスンもそうかはわからないが、今習っている先生の振付にはカウント(ワン、ツー、スリー、フォー、というやつ)が無い。それなりに音や周囲に合わせる必要はあるから完全に自分のペースだけでというわけにもいかないが、基本的には「自分が思うテンポやリズムでやっていい」と言われる。
そう書くと自由で簡単そうに聞こえるが、振りの動き自体はかなりダイナミックでハードだ。少なくとも初心者にとっては。首から足先まで余すことなく全身を使うし、それによってどこの筋肉が鍛えられているか気にする暇さえない。ストレッチや体幹トレーニングなどのウォーミングアップの時点から大量の汗が噴き出て、振り入れを二度三度も通せば息が切れる。
普通に歩いたり走ったりしているだけでは、こんなにも「ああ、いま身体を使っているなぁ」と実感することはない。片脚で立ったり回転したりするならばどこに軸を持ち重心を置くのか、どう骨を立たせれば綺麗に立てるのか。時に鏡を見て、自分の頭が、腰が、腕がどこにあるか確認する。
スピーカーから流れる音を、先生が手を叩く音を聴く。汗が皮膚のうえを伝うのを、床に突いた手が濡れて僅かに滑るのを感じる。肺のなかを空気が循環する。
ダンスをしていると、自分の魂と肉体の座標が少しずつ一致していくような感じを覚える。じゃあそれまではずれていたのか、と問われたなら、やっぱりずれていたような気がする。
レッスンを終えて汗を拭き、むぅっと夜の空気を吸ってアスファルトを踏んだ瞬間からいつも、私は今まで少しだけ地面から浮いていたんだな、と思うのだ。ドラえもんみたいに。もちろん比喩とは言えそれほどまでに、この営みは風船のように宙に浮かんで飛び去ってしまいそうな脆い身体感覚を繋ぎ止めて手繰り寄せる、密やかで細やかな作業であるように思われる。
比較的ここ最近になって気づいたことがあるのだが、蓋し私は二十余年の人生で自分が認識していた自分よりもはるかに、感覚で生きている人間らしい。という話をすると知人友人たちのなかには、「えぇ、意外」と言う人と「あぁ、そうだよね」と言う人の両方が居た。前者は私よりも感覚派の人で、後者は論理派の人、とある程度言うことができると思う。
さらに言えば、私は本質的には感性と直感の人間なのだと思う。でも社会で生きているとどうしても「なんとなく」では済まされない、許されないことが多々あって、時には自分の行動や考えについて説明したり、他者を説得したりしなければならない時もある。だからそのために、ある意味では仕方なく、後天的に論理性を学習して身に着けただけなのだと思う。
就活をしていた頃にとあるベンチャー企業のグループディスカッション選考で「積極的に参加していたもののロジカルシンキングがあまりできていない」というようなフィードバックを受けて落ちたことがあり、当時は「どこがやねん!!」とキレていたけれど今ならわかる。はい、そうですね。
その選考でせっかく落としてもらったにもかかわらず今なぜか日がな一日パソコンの画面を見つめ続け、自由で柔軟な感性だとかアイデアだとかはほとんど役に立たず、何かしようと思えば必ずデータと数字と完璧に筋の通ったロジックを求められる仕事をしているわけだから、やっぱりあの時に自分の方向性をもっとよく考えておくべきだったのだろう。あ~あ、転職しよ。社会人という名のフルタイム労働者になって早5年目、過去に三度か四度転職するする詐欺をしたけれど、いい加減オオカミ少年は卒業したいものである。
強いストレスや疲労を感じて限界寸前になると時々、部屋の床で寝転ぶことがある。ベッドでもラグでもなく、少しひんやりする床の感触を味わいたくなる、気がする。当然に硬いからぶつかる骨とか関節とか少しだけ痛いけれど、なんだかそれも生きている証のような感じがして。
こういうことを書いていると自分でも「それってある種の自傷行為なんじゃないの」という気がしないでもないが、まあ傷は残らないのでこれくらいはいいと思う。
初めてコンテンポラリーのレッスンを受けた時、左膝にくっきりと青痣ができてしまった。先生の振付はフロアの要素が多いのだと、本人も言っていた。痣ができるのは、まだ私の身体の使い方が先生ほど上手くないからで、床の使い方を熟知すれば身を傷めずに踊れるようになるらしい。ちょっと先は長そうではある。
さまざまなものがバーチャル・リアリティに代替されていくような時代で、手に触れるものの感覚を忘れないように生きたいと思う。私という存在を見失わないように。
熱帯夜、ほんのりつめたいフローリングが気持ちいい。
0コメント